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Content Syncretist Manifesto

memo

(Draft, August 2025)

We are not zeros.

We are not ones.

We find ourselves in the gradation — the awai — between.

AI calculates.

Humans tremble, breathe, remember.

We live in the utsuroi,

in ambiguity, in shifting forms.

A world of yusōkan — perception itself quivering.

In the awai,

we touch Shunyata.

And not only we.

The trees, the winds, the rivers too —

all live in the trembling gradation of life.

This is not a conclusion.

It is a thought in fermentation,

a manifesto still in becoming.


Notes on the Manifesto

私はAIを使った創作に取り組む中で、「AIアーティスト」という呼び方に違和感を覚えました。

アーティストは時間や身体をかけて作品を紡ぐ存在であり、その尊厳を安易に侵すわけにはいかない。

一方で「AIオペレーター」と呼ぶには、そこに確かに創造の手応えがある。

その中間を指し示す新しい呼称を探す中で出会ったのが シンクレティズム(syncretism) でした。

シンクレティズムには二つの軸があります。

一つは文化やメディアを横断する 「横の融合」

もう一つは、人間の直感や身体性とAIの論理やデータを垂直に交わらせる 「縦の融合」

この二つを併せ持つ創造者を、私は 「コンテンツシンクレティスト」 と呼ぶことにしました。

やがてAIが社会に深く浸透していく光景を目の当たりにして、改めて人間の特性を考えるようになりました。

AIは徹底して「0と1」の世界を生きています。

しかし人間は、そのあわい──グラデーションのような移ろい、曖昧さ、揺れを生きる存在です。

その曖昧さの中で、私たちはときに Shunyata に触れる感覚を得る。

そして今、私の関心は人間だけにとどまりません。

自然や他の生命、植物もまた同じように、この揺れのグラデーションの中に生きている。

私はもともと人を避けていた存在でしたが、そこから人への興味が芽生え、やがて自然や他の生命へと視野が開かれていった。

それもまた、一つの循環だったのだと思います。

この考えはまだ熟成の途上にある。

これからの実践や対話を通じて、形を変えながら発酵していくだろう。

0と1のあわいを生きること。

それは人間だけでなく、生命全体に通底するリズムであり、AIには持ち得ない創造の源泉なのです。

プロフィール
書いた人
野崎 秀吾

Content Syncretist(コンテンツシンクレティスト)
✨ コーヒーとクラフトビールの愛好家で、在宅勤務を楽しむジェネレーションアルファ世代の父。Bromptonでのサイクリングをこよなく愛する。

最近のプロジェクト:
AIを活用して、架空のファッション雑誌風写真集を出版。デジタルアートの新境地を探求。
1999年から続く私のウェブサイトは、私の長年のライフワークであり、成長と学びの旅の記録です。未熟なコンテンツもありますが、それもすべてが私の経験の一部。SNSで私を見かけたら、ぜひお声掛けください。AIとクリエイティビティ、音楽制作の裏側、あるいは日常のことなど、皆さんとの交流を楽しみにしています。

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