日本では11月22日に公開された「インターステラー」を2014年で閉館になる新宿ミラノ座で観てきました。
いやぁ、大泣きしました。そして、一番見たい環境のIMAXで観たわけでは無いので、最初の映画に関する感想としてメモりたいと思います。
監督は「バットマン ダークナイト」等新生バットマン3部作や「インセプション」のクリストファー・ノーラン。制作はお約束のSyncopy Films、Legendary Picturesが名を連ねるクリストファー・ノーランお約束のクルーで製作された映画なので、公開前の情報開示も少なく2014年公開の中では大変気になる作品のひとつでした。
どうせ情報開示が少ないならいっそのこと前知識無しで観てみたいと思い、事前にシナリオも何も知らない状態で映画館に向かいました。
今回向かった映画館は2014年末で閉館となる新宿ミラノ座です。年末のメモリアルチケット、買おうかな。
映画好き少年だった身としてはこの映画館についてはあれこれ書きたいけど、今回はその話じゃ無いので。
さて、映画の感想ですが、今回ズルいのが具体的な西暦をはっきりさせていない点なんですよね。ある意味パラレルワールドで今の社会の先を見せるようなリアルな感覚と言いますか、バットマンの世界観もリアルすぎて今どこかにあるかも知れない街だったような同じ作り込みに思いました。
そのパラレルワールド感がこの映画の真骨頂で、同じ時間軸なんだが何か雰囲気が違うその理由がこの映画で語られている時空を超えた世界なんだよ!と監督は語っているのだと思いました。
つまり今、目の前にある社会は何かの因果で結果として生まれてしまった可能性の一つなのですが、そうなる前に様々な可能性もあったわけで、どんな可能性があったかは知り得ないわけです。それはまさに時間軸を超えて検証するしか出来ない事なのですが、この映画で語られている世界観は、そうしたひとつの時間軸が全てだと感じている未熟な人類の世界観を超えた世界で起きている世界はまた違う課題を投げかけていると言うだけの事です。たとえ人類が未熟な種族であっても、その現実を受け入れて目の前の課題を解決して今日を生き抜いていく姿こそが実は人類が、今の文明を築いてきた礎になっていると言う事でありまして、なんでもかんでもわかった気がしているのは文字通り「わかった気がしている」だけの話であると言う事を、この映画の後半でしらっと語ってくれています。なんかわかりにくい文章ですね。
つまりあなたが観ている現実は誰にとっても理解される現実では無いって事です。時間軸を超えるロジックがあればそういう仮説もいくらでも検証出来るでしょう。これならネタバレしないような書き方なのかな、と思って書き始めましたが、やはり難しいですね。
映像面でいえば、最初の感想は映画好きなら誰もが思う「2001年宇宙の旅」の2014年版だと思いました。
20世紀にはこの世界を表現するための計算式はあっても、それを実際に映像化するコンピューティングは不可能でしたが、2014年であればその計算結果をCGとして映像化することは可能になりました。なので、この映画を見れば、様々な数式が表していた宇宙の世界を誰にでもわかるように示してくれていると思います。
「2001年宇宙の旅」のあの世界観の続きを作るというのは、ストーリー的につながりがある「2010」はあったものの大変勇気のいる作業だと思うのですが、あえてその世界を解きほぐして自身の解釈で映像化したノーラン監督の愛情を感じる映像だったと思います。もちろん、全てを理解し、納得したわけではありませんが。
僕が大泣きした理由はその時空を超えた親子の関係のシーンなのですが、あのシーンに矛盾があるのも何となくわかりつつも、誰しもその世界を見てみたいし、出来ることならばその先の世界を変えていきたいと思い、そういう行動を起こしてしまうのは、きっといい年になったおっさん、おばさんなら理解出来る話なのかも知れません。ここは理屈じゃ無く感情なんだろうなぁ、と思って見てしまいました。そしてその次元を超えたご都合主義的「愛」の大きさに大泣きしました。
と、言う事でまとめます。
もしこの映画を見るのであれば可能ならばこの作品達を観てから行くべきだろうと思いました。
他にも元ネタ的に思い当たるシーンはあったのですが、今のところ最低でもこの3つの組み合わせが、インターステラという近年まれに見る本当にユニークなSF作品を理解するために必要な映像作品なのだと思いました。もし1回しかこの大作を観ないのであれば、せめて上記3作品は先にご覧頂くと、映画のことをもっと深く理解出来ると思います。言い換えるならば、この3作品も観ていない位のSFファンならばストーリー以上にはインターステラの面白さは受け止められないだろうなぁと思いました。
私は1回以上観たいと思いました。やはりIMAXで観ないとノーラン監督が目指した映像の世界観は理解出来ないのだと思います。
「ゼロ・グラビティ」が「ドルビーアトモス」の視聴環境で初めて本当の視聴環境になるのと同じく、きっとIMAXじゃないと作品の全てを味わうことは難しいのでしょうね。
久しぶりにSF好きな自分と対話できる作品でした。