別にこの日に合わせたわけではなかったのですが、日程的にぴったりこのタイミングに長崎にいる事になってました。首相が来た事もあって平和公園は交通規制が入ったり大変だったようです。そんなわけで忘れてはいけない特別な日に長崎にいた事のメモ。
自分のサイトでは政治的な観点、経済的な観点、人道的な観点等それぞれの見解が出てくる戦争に関してはあんまり取り上げないようにしているのですが、今回は旅行記の一部と言う事で。
だいたいこの碑のある場所に落下したそうです。
平和公園はこの場所から1ブロックとなり。何も関係がない市民が被爆者になった事は言うまでもなくひどい事ですが、今回資料館で元々刑務所(長崎刑務所浦上刑務支所)があった場所だと知り、当時逃げ場もなく収容されていた囚人の方々の事を思うと何とも無念な気持ちになりました。
平和公園の象徴と言えばこれ。
非常にpeaceな像ですのであまり細かい話はどうでも良いのですが、手足のダイナミックさに比べると、平和のシンボルとは言えずいぶんのっぺりしたお顔・・・じゃありませんか?歴史の教科書ではここまでちゃんと顔が写ってなかった気がします。なので、初めてこの事実を知った衝撃は相当大きかったです・・・。
泊まった宿で9日に平和公園へは入れないと聞いたので松山町の観光は昨日済ませました。9日の11:02(投下された時刻)には別の場所にいたのですが、ちょうど港に停泊している船の汽笛が鳴り響いていたので黙祷しながら雰囲気だけ動画に収めてみました。
左端に小さい軍艦が映ってますが、こういう船たちが実践で活躍しないでいて欲しいものです。
しかし、実際に長崎に来て思ったのですが、小倉に落とすはずだった爆弾が前日の焼夷弾の煙のせいで落とせないから次の標的の長崎になり、その長崎も曇りで見えないし、燃料も少ないから帰ろうとした所、ちょっとした雲の隙間から下が見えたので投下した、との話は何とも運命のいたずらのようなものを感じます。燃料が少なかったんだからそのまま帰ってしまえば広島に続いてこんな悲劇は起きなかったかも知れないのに。もちろんソ連抑止のために反対を押し切って原爆投下命令を下させたトルーマン大統領以下ブレインの方々の判断(武器商人もいるのだろう)がそもそもの元凶なのでしょうが(技術がこれを実現させた事を責めるより、やはり技術を良い方向に使えなかった人が悪いと僕は思う)。
そんなわけで柄に合わない話はこの辺で。
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