雑感 20151108

あいにくの天気の日曜日。

しらっと書くと、人生40年過ぎてちょっとしてから双子の父親となり、里帰り出産中なので毎週末子供達に会いに行く生活を3ヶ月弱続けてます。
その1分1秒ごとにドラマはあるんだけど、そのドラマはデジタルに共有できる世界ではなくて、リアルにアナログにタンパク質な人間の眼の前で起きることだらけでして、子供を持った人にしか共感されない世界になるんだと思っています。そして、その時間を過ごすことで、自分が今認識できる自分になるまでの長いプロセスの中で、どういう経験をしてきたのかを、ありえないほどに客観的に感じるのです。

少なくとも僕は毎週末、子供をあやしている時に、自分が自分の親にしてもらった事を思い出しています。同じ空間ではないので、物質的には今の方が豊かです。でもその心にうっすら残るかもしれない感情面に、もしかしたら自分の対応1つが関係するかもしれないから、1つ1つの挙動をものすごく考えてしまう時があります。誰しもそういう幼い時間を経ていっぱしの大人になって、何かを発言するので、それは親から見れば、あんなに何もできなかった生き物が、こんなに生意気なことを言うようになったんだな、と思って、微笑ましく思えてしまうのは致し方がないです。特に若くて勢いがあって何かに突き抜けた考えを持っている人ならなおさらでしょう。たぶんどれだけ先に進んでいても、それはコンテキストとそのコンテンツを発する物体の関係性は同じく評価されないので、年齢で評価が分かれてしまうのだと思いました。仕方がないんですよ。評価者に同じ世代がいないわけだし、同じ感性の人がいないかも知れないから。
早熟な方が、たまたまこの文章を読むことがあればですが、個人的には中途半端にできるより、具体的なアウトプットを作って、今見ている社会にインパクトを与えられた方が、多分言いたいことは伝えられるような気はします。ただし、そのアウトプットがどういう効能を持ち合わせているかまで、ちゃんと考え対策している知能も求められており責任がある。今の時代は自分が幼かった頃よりも自由に発想出来ると思うが、ある意味で正解がない中で最適と思われる結論を作る必要がある時代に生き残るのは大変です。
まぁ、雑感なので。