Rを降りた日

GT-R(BNR32)

僕のクルマ好きな側面をご存知の方には唐突に聞こえるかも知れませんが、タイトル通りに昨日GT-Rを降りました。いつかこの日が来るとは思ってました。

詳しい話はまた書いていきたいと思いますが、まずは2003年からの7年間、本当に色々な思い出をありがとう、と言う気持ちでいっぱいです。

僕にとっては青春の思い出の1台であり、故障や手間も含めて心底惚れたクルマでした。なので、手放すまでのこの数日はとても寂しく、その事実を思い出しては涙が出そうな毎日でした。独身最後のわがままとして駆け込みで購入してから、僕自身の様々な感情を受け止め、家内とはまた違う観点で支えてくれた相棒であり、このBNR32つながりでそれまで知らなかった世界の方々と交流する機会にも恵まれるなど、本当にGT-Rが持つブランド性を実感した毎日でした。

そもそもこの車は今から21年前(1989年)のバブル絶頂の時代に誕生しました。僕はバブルの後半に免許を取ったのですが、当時、この車やホンダのNSX、マツダのRX-7(FD3S)、三菱GTO(Z16A)、日産FAIRLADY Z(Z32)等、国産スポーツカーが全盛期で、ある意味戦後日本が培ってきた自動車産業の技術力が世界の頂点の一旦に到達した瞬間とも言えます。その中でもこのGT-Rは独自の技術をストイックに積み上げ、オリジナリティの塊のような機構を持ち、当時から僕の憧れの1台でした。前車のGTOから乗り換えるにあたり、全く違う路線の車を選ぶことも頭を過ぎったのですが、結果として、乗っておかなければのちのち後悔するだろう車をリストアップし、この車に乗ることを決めました。ちなみに他の選択肢はNSX、RX-7(FD)、S2000、MR2等ですので、要するにバブル期のスポーツカーしかなかったわけですが、、、。

その中でGT-Rを選んだ決定打は、エンジンが一番丈夫そうw、と言うシンプルな理由でした。搭載されているRB26と言う型式のエンジンはレース用のベースエンジンになることを想定して設計されていたわけですから、普通の車よりは丈夫で当たり前。ま、実際に乗ってみると確かにエンジンは丈夫でしたが、車としては10数年前の車ですので、故障も多かったのは誤算とも言えますが。特にエアコンは最初の年以外、ほぼ毎年どこかしらを修理して、7年で全部のパーツを交換してしまった気がする、、、。

事故車と言う触れ込みで結構リーゾナブルな価格で買うことが出来たのですが、実際のところ大した事故でもなかったようで、メンテナンスをすればするほど、元気に走ってくれたので、お金をかければかける以上の喜びをドライバーに与えてくれました。細々といろいろ手をかけて自分好みにチューニングし、写真のような最終型になってました。手間が掛かったのはライトをHID化した時と、アラゴスタの車高調整でセッティングを決めた時ですね。あとはオイルパンを潰された時にエンジンを下ろしたのでエキマニの整流加工してたりと地味に中をいじっていました。

次のオーナーさんがどういう方になるのか?僕には知る由もないけど、この車はきっとまた所有する人に愛され、乗る人をそれ以上に喜ばせてくれると信じてます。

苦労して探したフロントグリルとGT-Rのロゴだけはどうしても手放せなくて、記念に手元に残しておく事にしました。好みの問題だけど、僕はオリジナルのフロントマスクより、こっちの方がGT-Rっぽいと思ってます。

さて、これでしばらくクルマ無しな生活だなw。

tuned by Shugo Nozaki

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プロフィール
書いた人
野崎 秀吾

Content Syncretist(コンテンツシンクレティスト)
✨ コーヒーとクラフトビールの愛好家で、在宅勤務を楽しむジェネレーションアルファ世代の父。Bromptonでのサイクリングをこよなく愛する。

最近のプロジェクト:
AIを活用して、架空のファッション雑誌風写真集を出版。デジタルアートの新境地を探求。
1999年から続く私のウェブサイトは、私の長年のライフワークであり、成長と学びの旅の記録です。未熟なコンテンツもありますが、それもすべてが私の経験の一部。SNSで私を見かけたら、ぜひお声掛けください。AIとクリエイティビティ、音楽制作の裏側、あるいは日常のことなど、皆さんとの交流を楽しみにしています。

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