ロングテールの話

元ネタ:日米で異なる映像配信ビジネスモデルの行方(Cnet)

ロングテールで成功を目指しているGoogleとGyaoやTV Bankのようなネット版テレビ広告モデルと言う現状から、日本では今後折衷案的なモデルで進むべきと論じているようです。

この記事を読んで、ふと思ったので映像配信だけに限らずロングテールってところで何か書いてみようかと思いました。たぶんまとまらないと思いますが。

私の認識では現在の日本の状況は既存の放送局が出来上がっていく状況と似たようなもので、ネットの映像配信のメジャーやインディーズが立ち上がる過程だと思ってます。でも既存の放送の中でネット放送に期待されるようなものが実現できていたら、もしかしたらこの国ではネット放送なんて盛り上がらなかったかも知れません。

ロングテールにフォーカスを絞るなら、結局のところ、配信サービスがあるから視聴者がついてくるわけじゃなく、視聴者が好き勝手に動くスピードをサービサーがどれだけ上回れるかと言う事だと思っているので、クリエーターが乗りやすいプラットフォームを提供する企業がシェアをとるだけだと考えてます。もちろんGyaoやYahooブランドでもいいからとにかく世の中にコンテンツを出したい人も現にいっぱいいるので、もしかしたら今のままでいいのかも知れません。

ただ、視聴者の自由度を最大限に尊重するなら各レーベルの番組表やコンテンツリストをソーシャルブックマーク的なサービスで組み上げて視聴するスタイルも大いに伸びる可能性があると感じてます。何しろ世の中にはお勧められたくないタイプの人は山ほどいると思いますので、GyaoやTVBank等もそのブックマークの中にあるコンテンツを配信する業者のひとつとなるだけかと。

後、過去からずーっと課題の課金に関してですが、そもそもGyaoやYahooはこの課金を見えなくしたから利用者が増えていると思ってます。つまるところ個人の視聴性向と言うプロファイルと引き換えに無料でコンテンツを見るスタイルは受け入れられたと言う事でしょう。
ロングテールを市場として考えた場合、誰からもお墨付きを与えられていないコンテンツを見て対価を求められ、妥当な金額を支払わなければいけないわけですから、もしかしたらこの課金の点でうまく行かなくなる可能性は大いにあります。

もしかしたら視聴者が支払う金額を決めるお賽銭的なシステムが妥当なのかも知れないのですが、それってストリートミュージシャンと同じような業態って事じゃないですか。
それでもいいから作品を発表したいって人しか残らないと思うので僕は自然淘汰の仕組みは良いと思います。なので、その淘汰にも負けず作品を作り、発表し続けるようなタイプの人がこの層で生き残れると僕は思ってます。NO PAY, NO WORKと言うようなタイプの人じゃ成り立たないわけです。だって自分でアピールしなくちゃ誰とも知り合えませんし、お金も払ってくれませんから。

pureな市場だと思いません?

こう考えるとロングテールって市場はリスクの高い投資先と言う事ですよね。こういう市場で回収確率を高めるには低コストで大量にコンテンツを生産する方法は得策かも知れないので、Googleが自社の技術力が生かせると考えたのは妥当だと思ってます。国内にこの視点で戦える技術力を持った企業がないのは残念なことです。

最後はぜんぜん関係なくただの独り言で。
数日前にも書いたのですが、こういう配信系の議論ってどうもコンテンツをアウトプットする先の進化があまり無いと思うのです。やっぱテレビですか?だって、パソコンだけの世界じゃないでしょう?かといってiPodやPSPや携帯で長時間見るのは大変ですよねぇ。

って、何か「人」の行動パターンを変えると、また違ったビジネスモデルが生まれるような気がしてならないのですが。

取り急ぎ。

コメント

  1. いろいろなテーマにも共通な事情でもあると思いますが、このテーマにおける国内の事情と、米国の事情の差は、そもそもの個性評価への国民性の違いだと思います。(映像業界自体の規模の差もありますけど)

    身銭(失敗のリスク)を切って観る映像は、「自分が価値を判断して払う人」なのか、それとも「他人に価値の判断をゆだねる人」なのか。どちらの人の割合が高いかという事です。(無料の場合は、失敗のリスクがないので当然自分の個性に従って視聴するので検討外です)

    これは、「人と違うことをしている人」に対して社会が高い評価をする文化が根付いているorいないの話とも、同根に感じます。

    最終的な人々の消費行動は、みんなが見るお墨付きのあるコンテンツを無料で視聴するよりは、
    自分だけのものを見つけ出して有料の対価を払う人の数の占める割合に反映されることになります。
    ロングテールモデルにおいて多数の後者の存在が必要です。

    まったくの予断として、私の雑感なのですが、映像文化を初め、「全般的な文化的な活動」に対しての、文化意識の差の問題もあるとおもいます。
    米国は膨大な文化の消費国でもありますが、質はともかく同じく膨大な文化の生産国です。
    日本は同じく膨大な文化の消費国でありますが、生産国としては、年々弱まってきているような気がします。

    その表象を対米国比較にて乱暴に並べてみますと、
    ・洋画礼賛。邦画ヘボイという評価がいまだにマジョリティーを占める。
    ・文化醸成基盤である宗教意識が薄弱。(米国は実は最強のピューリタリズム社会)
    ・文化の物理圏の大きなフレームである国家への愛情が薄弱。(殆どの米人は、邦人の感覚からするとかなり危ない国粋主義)
    ・米人は自国の服飾文化を継承しているが、邦人はなぜか”和”服を着ない。(これは邦人にとっては、”洋”服を着ることが自然な事になりすぎて、うっかり見過ごしている話。)
    ・音楽業界。そんなに洋楽の真似ばかりしてどうする?
    マツケンサンバみたいなのもっとでてこないのか?
    ・日本の画壇はどこにあるんだ?ゴッホばかりほめてる暇あれば、あたらしい絵を100枚かけるはず。田中一村とかすごい個性が昔はいたのに。。

    反証としては、世界有数の文庫本の発売本数、フランス人も頭を下げる漫画文化アニメ文化、日本が世界に誇る、世界最強の職人文化、世界に通用する日本食文化などなどあると思いますが、どうも特定の分野をせまく深く、堀りすぎているし、どれもこれも自然発生的で、国家戦略が感じられない、印象があります。
    もっと、本腰いれて、いろいろやっていこーぜ、という感じです。

    だんだん、めんどくさくなってきて、口語体になってきたので、この辺で、仕事に戻ります。。

    長文失礼しました。